「いじめ」という言葉の犯罪的な軽さ
皆さんにとって「いじめ」という言葉は、どんなイメージでしょうか。
「辛い」、「苦しい」、「追い詰める」、そんな感じでしょうか。
でも、この言葉の中には、ある一つの要素が決定的に足りていません。少し、考えてみてください。
考え終わりましたか?
その答えは「長い」です。
いじめは「長い」のです。それは、まさに一人の一生分続きます。
「またまた。小、中学生のじゃれあいでしょ?それが一生続くなんて大げさよ」
そう言う方もいらっしゃることかもしれません。
では、いじめられると、その後どのように人生を送るのか、ちょっとしたシミュレーションをしましょう。仮にその人をRさんとしましょうか。
Rさんは、小学生時代いじめを受けました。それはもう、ひどく心を追い詰められて、自殺を決意し、実行するまでに(未遂に終わりました)。そのようなこともあって、彼は地元の中学校ではなく、別の中学校を受験しました。
何とか別の中学校に受かり、彼は新たな人生を歩みだす……はずでした。
彼は友達ができませんでした。彼は友人をどうやって作るのかを忘れてしまっていました。
例えば、クラスメイトから「週末映画でも行かない?」と誘われた時、
彼には二択の選択肢がありました。
①笑顔で「いいよ!場所は?」と興味ありげにそして楽しそうに答える。
②言葉に詰まった感じで「い、いや……週末は用事があるから……」とおどおどしながら答える。
そして彼は②を選択しました。当然、クラスメイトは残念そうにその場を離れます。そのようなことを幾度となく繰り返しました。次はちゃんとしよう、そう思っても②に近い選択肢を選んでしまうのです。
さて、普通に生活している皆さんなら、「なんで?」とお思いでしょう。
普通だったら、①を選びます。でも彼にとって①の選択肢は見えませんでした。いや、選択肢として浮上こそしたものの、すぐに沈んでしまいました。
なぜか。①の選択肢の先が見えてしまうからです。①の選択肢の先に仲良くなったとしても、いじめられたら、その仲良くしていた友人もこちらに牙を剥く。そうしたらもっと傷ついてしまう。だったら、一人の方がいいと、心がイージスシステムよろしく、自動的に判断してしまうのです。そして、このシステムがありとあらゆる局面で(しかも大事なものであればあるほど登場する)、出てくるのです。
では、皆さん。想像してください。この②の選択肢ばかり選んでしまう人生を。
ええ。友達は望めないでしょうし、もしかしたら仕事でもミスをしてしまうかもしれません。ビジネスは、一人でやるものもありますが、圧倒的に多くの人と協力して行うものの方が多いはずです。そんな中で、②の選択肢を選んでしまったら……。
これが、「長い」と私が表現する理由なのです。いじめによって、心にいらない防衛装置を取り付けられ、事あるごとに判断を誘導されてしまう。そして、それが延々と続く。
これを「長い」と言わずして何というのか。
そして、「いじめ」という言葉からは全くこの長さ、継続性が伝わりません。
「いじめ」などではない。立派な「人生破壊行為」そのものです。
人生を破壊するにふさわしい凶悪性なのです。
よく、影響ある人が「逃げて、環境を変えるべきだ」と仰います。
あえて言います。半分正解で半分間違っています。
なぜなら、環境を変えても、その記憶からは逃れられない。記憶はどこまでもどこまでも、こびりつく。
そして、記憶によって生み出されたいりもしない防衛装置が、人生を破壊する。
また、こんなことを言う人もいます。
「自分の人生なんだから、自分で判断しなくてはいけない」
なるほど。お説ごもっとも。たしかに、自分の人生、他人のせいにしていたって意味がない。その事実は一面の真実ではあります。
でも、いじめは自分に非があるのですか?他人が勝手にやってきたことではありませんか。そして、勝手に人生を破壊されて、果たしてこれで自分の人生、他人のせいにできない?
随分な物言いではないですか。
では、そんなあなたにもう二つお伺いいたします。他人によって人生を司る、自分自身の判断機構もめちゃくちゃになっている人の人生は、まともなものになりえるとお思いですか?
あなたが手枷足枷を嵌められ、あっちこっちから罵声を浴びせられ、時には殴られ、そしてそんな拷問が他人からは「全く見えない・対処できない」という状況で、あなたは正しい判断を下せますか?
しかも、このろくでもない防衛装置は極めて取り外しにくい。何とか外そうしても、いじめられた記憶と密接に関係しているから、意識すればするほど、辛い記憶が呼び覚まされる。そして、防衛装置をそのままにして、心の片隅に追いやる。
それが一生繰り返されるのです。
分かりますか?皆さんが「いじめ」と呼称しているモノは、人生を破壊するのです。いじめが終わっても、ずっと。
平仮名三文字の「いじめ」という言葉が、とても軽い。それこそ犯罪的に。もっと呼称を考えるべきだと私は思います。
そして、最後に、そんないじめをしていて、「俺(私)、いじめる側だったんだよね~」とヘラヘラ笑って語っている方へ。
笑っている場合か。
あなたがしたことはあなたにとっては、青春時代の一頁かもしれないが、当人にとっては人生を破壊されたも同然なんだ。
「俺(私)、一人の人生ぶっ壊しちゃったんだよね~」と笑いながら言えるか?
言える?なら結構。
そんな人に言うことは何もない。馬鹿に付ける薬はない。
言えない?そんなこと言って友達失いたくない?
ならばそんなことを笑顔で話すな。自分のしたことを平然と開陳するな。せめて心の中にしまいこんで、二度と表に出すな。
Ryo.H
自己紹介
はじめましての方が多いと思いますので、自己紹介をば。
Ryo.Hと申します。
都内の足が速い私立大学に通う大学二年生です。学部は法学。
趣味はチェス、囲碁、そしてささやかな小説の執筆。
そんな自分のハイライトは、いじめの相談アプリ製作のプロジェクトに関わっていること。現在、talkushといういじめ相談アプリの製作に「ゆゆめるさん」と共に挑戦しております(下記に自分のツイッターとゆゆめるさんのツイッターを載せておきます)。
基本的に、私の記事は4つに大別されることだと思います。
①プロジェクト関係→プロジェクトの理念や行動していることについて
②趣味関係→チェスネタ・囲碁ネタ
③真面目な問題提起→社会問題を考える
④小説→趣味の小説を細々と。お暇な時にでも
とりあえず、今のところはここまで。私の人となりは、次からの記事でつらつらとつづっていくこととなります。
では!
Ryo.H
ゆゆめるさんのツイッター
私、Ryo.Hこと涼祐名義のツイッター
よろしければ見ていってください。